砂漠の一粒の砂と海の一滴の水のたとえ話の結論
自分なりの答え
この世界に生きる生物の魂の1つを、砂漠の一粒の砂と例える。
砂粒(魂)は一粒一粒分かれていて、混ざりあうことはない。
つまりそれぞれの砂粒に人格がある。(動物とか植物もありえる)
砂粒(魂)の大きさはいろいろあるけど、どれが大きいかを競うことはあまり意味のないことだろう。死んだ魂の1つを、海の一滴の水と例える。砂粒から離れた魂は、海にたどり着いた時、一滴の水になる。海に混じってしまえば、元の一滴が霧散してしまう。つまり海に混じった一滴の水に人格はない。と、考えると。1つの生命に1つの魂があるとして、魂の大小に大した差はないとするなら。魚卵やジャコなんて大量の魂の消費になる。だから、こういうことをむやみにやらないように宗教とか法律とか慣習で縛りをいれているんだろう。この世界での自分は一人。リインカーネーションの先は自分ではない。これって宗教?
副業の本業
予定より遅れている・・・。
この土日が勝負だ。
1時間チャレンジ
1時間チャレンジとは一日のうち1時間だけ新しいチャレンジを行うことである!(自分ルール)
最近はウォーキングも億劫になってきている・・・。
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PVってどうやったら増えるの・・・。