陰謀論がでてるけどそれは反対勢力が撹乱させるための陰謀論です
この記事はある出来事を隠すための陰謀論です
wikipediaにいろんな陰謀論が書いてあったので読んでた。
中にはこれは陰謀じゃなくて事実でしょ?っていうことも陰謀論として書かれていた。
そもそもwikipediaも真実や事実だけが書かれているとは限らない。
隠蔽したい真実はwikipediaには記載されていない、もしく真実とは異なるような記載になっていると考えるのがいいだろう。
同じ事は、辞書や新聞などのメディアにも言える。
新聞などはそもそも広告収入がなければ維持できない媒体だから、真実など書かれているわけがないと考えるべきだ。
常に誰かの陰謀の息がかかっている。
Twitterなどは個人の発言を非営利でそのまま発信しているわけだから、真実だけ書かれている、と考えるのは甘すぎる。
個人の発言など嘘の塊であると言っても過言ではない。
これは、Twitterでなく、リアルの発言であっても同じだ。
例えば目の前で起きた事件であっても、10人いれば10通りの真実がある。
絶対に同じはない。
先ほどの例なら、その10人は同じ場所で同じ高さで同じ角度で同じ時間その事件を見ているはずはない。
また、それまでの生き方や生活習慣、価値観で、その事象の解釈が異なるはずだ。
真実はいつも一つ。
というのは詭弁であろう。
正しいと判断するのは、正しいと判断して得する人である。
誤っていると判断するのは、誤っていると判断して得をするからに他ならない。
つまり、結果的に自己保身のために最善手を選択しているだけでそれが真実かどうかは関係がないのである。
と散々書いてきたこの文章も陰謀論なので信じてはいけない。
やたらと人を集めたがる人
気持ちはわからんでもないけど
たくさん人を集められる、というのは一種のステータスだとおもう。
だけど、自分が主宰で何かやるならどうぞご勝手にって感じだけど、人を巻き込んで何かをやるときに他の人を呼びたがり、さらに他の人の集客もあてにしたりとかもう最悪だ。
目的と手段が変わってしまっている。
企画や内容次第で、自然と人が集まってくるのがやっぱり一番いい。
それと来る人を拒まず、去る人を追わない、という姿勢でありたい。
良いものには誰だって惹かれる。
もちろん、声を掛けることも必要だけど、最初にその趣旨を理解してくれるような人を選ばなければその後に来る人が勘違いしたまま来てしまう。
ひとを連れて来るのも、責任がある。
あまりその辺りの重要性を考えてない人が気軽に人を呼びたがるのかもしれない。
素性もわからないような趣旨のわからない会に誰もこないって!
最初に声をかけられる自分は、喜べはいいのかどうか。
ホテルの
空調、水圧、、、
寒すぎ、暑すぎ、弱すぎ、強すぎ、、、
ちょうどいい、のは記憶に残らない。
文化と政治思想
昨日は楽しいひな祭り
世の中にはいろんな文化がある。
民族に伝わるもの、地域に伝わるもの、世界的に広まったもの、宗教にまつわるもの。
自分の思想と異なる文化はやらないですね。
国によっては犯罪になってしまう文化もある。
日本で変わったやつだと、「渡辺さんは豆まきしない」とか。
この場合は文化を忌避してるわけじゃなくて、「やらなくていい」だからちょっと違うかもしれないけど。
ひな人形は、宮中の結婚式を模しているという説もあるとか。
反天皇派の方々はこの場合、ひな祭りはやらないんですかね。
自分は男だからそもそもひな祭りは別に何でもない日なんだけどね。
大人になってからもこれってやる必要あるのか?雛人形はどうしても買わないといけないのか?と思ってた。
妻が娘にまあまあの値段の雛人形を買う時にも、本当にそのサイズの雛人形がいるのか?と何度も確認した。結局買われたけど。
桃はいいね。
壁の薄い部屋
隣の音が聞こえる
壁の薄いアパートやホテルの部屋にいると、隣の音が聞こえてくる。
何もしていない時なら、むしろ音の内容に耳をすませて聞いちゃおうかなくらいの心づもりだが、いざ寝るとなるともう完全に睡眠妨害で怒鳴り込んでやろうかという勢いだ。
耳せんで防ぐ事もできるが、振動とかは防げないから、余計にイライラしたり。
壁ドンって、最初の使い方は、こういう隣の部屋に対しての「怒りの伝達方法」だったはず。
それがいつの間にか、壁際で女性を追い詰めるような仕草のほうをそう呼ぶようになってた。
今は壁の薄いところにいる。
先に寝たほうが勝ち。
アイデアはゴミ
捨てる神あれば拾う神あり
アイデアというのは、日頃から考えていれば際限無く生まれる。
誰も考えた事のないアイデアもあれば、忘れた情報が潜在的に残っていて思い出しただけのアイデアもある。
アイデアも使わなければ意味がない。
思いついても実現できなければそれも意味がない。
先に実現させた人、さらには先に発表した人が勝ちだ。
テレビで何か新発明や新商品をみて、「あーそれ自分が昔に思いついてたアイデアだ」と言っても、具現化させた人が勝ちだ。
実際はそこにたどりつくまでに数々の問題をクリアしているし、資金や時間などもかかっている。
アイデア1つだけで、大儲けはできない。
たくさんいいアイデアを出して誰かの手助けをしてお金を稼ぐ事が出来るんじゃないかと思っていた時もありました。
もしかしたら、そういう仕事をしている人もいるかもしれないけど、多分レアケース。
アイデアは実現させるところまでが仕事になる。
日々思いついたアイデアをもう何年も前からメモしている。
ほとんど使えないゴミ。
でもゴミがお宝に生まれ変わる時があるのが面白いところ。
アイデアを実現させられるように自分を高めるしかない。
近くて遠い国、韓国
色んなものが違うから国が違っている
世界中にあるどの国にも「隣国」は存在している。
隣国とはどれだけ仲が良くても、国が違っている以上、絶対に越えられない壁がある。
同じ国の中でも、思想の違いなどです対立があるのだから、国家間では対立して当たり前だ。
まったく同じなら、国家として分かれている意味がないと思う。(もしかしたら国際社会的に分けてあったほうが何か有利なことがあるのかもしれないけど、僕の知識では思いつきません)
日本にもいくつか隣国がありますが、歴史的には全ての隣国と戦争などの争い事は起きている。
現在の日本ができるまでにもたくさんの戦いがあったから、この今の状態になっているわけで、例えば沖縄がすごく強い国家だったら、今も外国だっただろうし、日本自体がもっと強かったら、ユーラシア大陸の一部が日本だったかもしれない。
韓国を含む朝鮮半島も、一時は日本の一部だったけど、今は別の国だ。
日本人として受け入れたひともいたが、それ以上に受け入れなかった人が多かったか、受け入れなかったひとの力が強かったか。
いずれにせよ、韓国は別の国だ。
違う国だから、いろいろ違う。
言葉も文化も考え方も違う。
だから、日本人の考え方で韓国人の行動を理解することは難しいだろう。
外交とは共に歩み寄る事が出来なければ、最終的には極論は服従させることになる。
現代ではあり得ない。
そうでなければ、相手にしないくらいしか対策がない。
ここ最近で、韓国はかなり遠くなった。