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人間死ぬ気になれば・・・というけど、実際のところどうなの?家族へ資産を残すための記録。

確実に一攫千金する方法はない

どのチャンスが一攫千金か?

秀でた技術など特になく、特異な経験も特になく、強力なコネや家柄でもない。

そんな僕みたいな人が、一攫千金をするには、ものすごい確率を奇跡を起こさないとできないと思う。

歩いてたらたまたま油田発見。

歩いてたらたまたま金塊発見。

とか、ありえないレベルの。

宝くじを買うっていうのも、資本金がいる。

運がいい人は1枚だけ買ってそれが一等になることもあるかもしれない。

宝くじの一等に当たる確率は、歩いてたら交通事故で死亡する確率より低いらしい。

何も無い人が、一攫千金するのはミラクルと思う。

ほとんどの人は「一攫一金」できるように勉強したり努力している。がんばり次第では、二金、三金にすることができる。

当然、運も関係ある。

今まで生きてきて、若い頃は今の年齢くらいまでに一発当てて遊んで暮らしたい、と思ってたもんだけど、仕事しないと、今は生きがいを見出せないかも。

一攫千金のチャンスは、ゴロゴロ転がっているかもしれない。

ただ、そのチャンスに出会う運があるか、そのチャンスを掴むだけの実力があるか、結果そのチャンスを成功させたら、一攫千金も夢では無いかもしれない。

なんにせよ、コツコツとがんばるしかない。

地雷を埋める/爆発する季節になりました

地雷か?見えてる爆弾か?

もうすぐ四月。

人事異動や退職なんかで、業務の引き継ぎに追われている人もいると思う。

そうするとよくあるのが、「前任者いなくなった途端に回らなくなった」ってパターン。

前任者しかわからないことが出てきたけど、もう前任者にも聞けない!と、潜伏していた問題が発覚、つまり地雷が爆発した瞬間だ。

引き継ぎ作業では、見えている問題は引き継がれる。

引き継ぎ作業で起きる問題は、前任者の中での常識的、一般的、他の人も知ってる、ようなことが、実はオープンでなかったりドキュメント化されてなかったりして、引き継ぐべき内容でないと、判断されてしまうこと。

もしくは、前任者が問題の存在を忘れてしまい引き継がれなかった場合など。

また、年度末、年度始めの特別な処理があったりとかで、業務自体がイレギュラーであったり。

地雷原はそこらじゅうにある。

 

地雷処理の方法としてあえて爆発させるっていう方法もある。

爆発したかないねり

餅に描いた絵

食べられない

「絵に描いた餅」ってことわざは、描いても食べられないことから、なんの役にも立たないと言う意味で使われますね。

餅が目的で、絵を描くが手段になる。

餅を作る手段として絵を描くっていうのは、全く正しくないですね。

仕事の中でもこういうことよくあるわけです。

実現できそうにないことばっかり提案したり、方法がまったくトンチンカンだったり。

踊る大捜査線の名ゼリフの「事件は会議室で起きてるんじゃない 現場で起きてるんだ」っていうのは、現場と指揮系統で目的と手段がチグハグになって生まれた言葉と思う。

仕事でも、営業と社内部隊とか、マネージャーと部下とか、そういうの起きがち。

立場が変わると方法や手段も変わってしまう。

ところで、タイトルの「餅に描いた絵」っていうのは当然思いついた造語なんだけど、これは「使えるものも使えなくしちゃう」っていう意味。

現行うまくいっているか少し不満があるような仕組みがある状況で、それを改善しようとして、現行の仕組みを変えることにより、新しい仕組みも古い仕組みも全部使えなくなって現場に大混乱が起きる、みたいな状況にまれに遭遇する。

先日、会議の議事が回ってきて、あー餅に絵を描いてるわ、と思った。

後は野となれ山となれ。

行列に並んで食べる

並ぶ価値はあるか?

目的の物を食べるために出かけて行ったら思いのほか行列ができていて、「えっ!?これってこんなに人気がある食べ物なの?!」とびっくりすることがある。

回転率の高いお店なら待ち時間も短いが、そうでないお店の場合は相当待たされる。

行列の原因は回転率の悪さにある可能性はある。(美味しかったり安かったりという理由も当然ある)

回転率の悪さを自覚している店なら、予約できるようになっているはず。

実際、食事をする時間なんて20分くらい。

美味しい味を楽しむ時間はもっと少ない。

その瞬間のために何十分、何時間も待つ。

でも、食後、その食事についてみんなで語り合ったりできることは、プライスレスだ。

同じ時間、場所、食事を共有することで、思い出を共有できる。

待つところから思い出になる。

そんな想い出を共有したくないって人は、待ち時間ゼロでささっと食べるのがいいと思う。

選択の不自由

自由に選べるけど実は選べない

毎日、毎時、毎分、毎秒、数限りない選択をして生きている。

人生を左右する重大な選択肢から、きのこの山たけのこの里どっちを買うかくらいにどうでもいい選択肢からいろいろある。

他人に与えられた選択肢もあるし、自分の行動をどうとるかという無限の選択肢もある。

自分の行動の場合は、無限の選択肢の中でも実現可能なものとそうでないものがある。

例えば、道を歩いていた時、財布が落ちていた時の行動として、どれくらい思いつくだろうか。

そして、実際はその時の状況、、、急いでいるかいないか、誰かと一緒にいるかいないか、周囲の目はあるかないか、これもいろいろあるのでそれによって選択も変わる。

交番に届ける、見て見ぬ振り、ネコババする、、、など、その後の人生に影響が出るような選択肢もありえる。

普通は、反社会的な行動だったり、誰かが傷つくとか、自分に不利益が出るような選択肢は選ばない。

与えられた選択肢から、即座に選択しなければならない時がある。

そのとっさの判断で反社会的な行動を選択してしまう人もいる。 

これは今までの生き方とか考え方が、行動に現れたのかもしれない。

選択をじっくり考えられる時もあれば、1秒ないくらいの瞬時に考える時もある。

 

新聞などのメディアによる報道は、じっくり考えた結果が掲載されている。

さまざまなニュースから、どのニュースを掲載するか選択している。

新聞を読む人はそこに掲載されたニュースがすべて。

しかし今は、選択される前のニュースすべてがインターネットで公開されている。

どのニュースを読むかは自由。

どのメディアがどのニュースを選んでいるか、調べるのも楽しいだろう。

こんな会社すぐ辞めてやる!

と言ってずっと辞めない

あんな奴とさっさと別れる→別れない

俺なら絶対やる→やらない

ちょっとで終わるよ→終わらない

少しだけ手伝って→ほとんど手伝わされる

騙されたと思って→騙される

周りの人が結構言ってる→1人か2人だけ

経験あります!→1回だけで最後まではやってない

今週末はちょっと難しい→今週末にできるけど土日に電話かかってくるの嫌

ご無沙汰ですよね→名前なんでしたっけ?

できたあ!→できてない

個人的にはアリ→ほとんどの人がナシ

愛してます→まあ好き

好きだよ→まあ好き

好き→好き

かわいい→大好き

 

 

ちやほやされる人への憧れを打ち砕く

モテたくないと願うことはありえるか

人間一人では生きられないっていうのは概ね真実。でも無人島なんかで一人で暮らせと言われたらなんとかなってしまうのも人間だ。

社会で生きていく上では人の関わりを排除することは不可能と言ってもいいと思う。

生活するためにはお金が必要で、お金を稼ぐには働かなければならない。

働くということは誰かと接する。

会社員の場合は営業系の仕事や、自営業の人は、社外の人と接して仕事を取る必要があるので大変。

そこで昔からずっと使われている手法は「影響力のある人とコネクションをもつ」ということ。

影響力のある人の後ろにつながっているお金や人脈が接近される目的だ。

確かにその人がもつ魅力で集まってきているケースもある。

そういう人たちばっかりが自分の周りにきていて、うんざりしている人もいるだろう。

そういう人はもう仕事抜きで会える人とあっている方が気が楽だろう。

あなたが今年会った人で仕事抜きでも会いたい人はどれくらいいますか?

利用されるのはだれだっていやだ。

モテる秘訣?そりゃあ、金、人脈、信用だね。